国宝犬山城

国宝 犬山城(別名白帝城)
木曽川の南岸にそそり立つ犬山城は、今から460年ほど前に築かれた城で、日本最古の天守閣は国宝に指定されています。外観3層、内部4階、地下2階の構造で、最上層は展望台にもなっており、東から北東にかけて木曽御嶽山、恵那山が、南には小牧山、広大な濃尾平野、西には伊吹山、岐阜城、北には美濃の山々を一望できます。
白帝城の命名
犬山城では別名白帝城という。
江戸時代の儒者荻生・徂徠(おぎゅう・そらい)が李白の詩「朝に辞す白帝彩雲の間・千里の江陵一日にして還る・両岸の猿声啼きやまざるに・軽舟すでに過ぐ万重の山」からとって命名したと伝えられる。
李白の詩にいう白帝城は長江の上流四川省の山地にある。江陵は洞庭湖の北。李白は唐の玄宗の安禄山の乱の際反逆罪で死刑を宣告された後、罪を一等減ぜられて重慶の南の蛮地貴州省に流罪となり三峡をさかのぼり巫山にさしかかた折恩赦にあずかり帰還することになった。
犬山城の沿革
犬山城は天文6年(1537年)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となったが天文16年(1547年)岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。その後何代か城主がかわり文禄4年(1595年)石川備前守光吉が守った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の後小笠原和泉守吉次が入城した。
この石川、小笠原両氏の手によって、近世の犬山城が完成された。
その後、平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617年)成瀬隼人正正成が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。
明治4年9代目正肥のとき廃藩置県で廃城となり天守を除くほかは殆ど取り壊された。同24年濃尾震災で天守の東、南と西北の付槽・城門が壊されたので、同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ唯一の個人所有として現在に至っている。
昭和2年11月20日天皇陛下が登閣され、同10年5月13日国宝に指定された。
同27年3月29日規則改正にともない再指定された。
昭和36年4月から解体修理を始め昭和40年3月20日竣工復元した。
全国で個人の城持ちは、成瀬家が唯一である。
犬山市は昭和40年7月1日文化財保護委員会から管理団体として指定を受けた。
全国で国宝指定は犬山城の他、姫路、松本、彦根がある。
【出典:犬山市観光マップ】
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