近くの歴史散歩道 文:小田昭午(犬山市)
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(41)『わが命運開けたり』
 今日は「夕暮れ富士」と言われている伊木山に登って見ましょう。
 ライン大橋を渡って左折し、市民プール前を直進すると「伊木の森入口」の標識が立っています。左折すると公園です。あとは案内版に従って山頂を目指しましょう。
 山頂には標高173メートルの一等三角点があります。ここに伊木山城が建っていました。天守台だったと見られる土を盛った短形状の高い部分が残っています。石垣らしいものは見当たりません。
 戦国時代、斉藤道三の命で築かれ、その後織田信長によって改築、強化されたと見られる山城です。信長、美濃攻めの頃は伊木清兵衛の居城でした。
 時代はずっと下って太平洋戦争の末期、この山頂にアメリカの艦載機を迎え撃った機関砲の陣地があったと聞きました。城跡の東、四十メートルほどの所に砲を据えたと思われる壕の跡があります。
 更に東へ二百五十メートル程歩きますと「キューピーの鼻」と呼ばれているピークがあります。
 眼下を流れる木曽川を挟んで右に犬山城、左に鵜沼城。先月登場(40)した猿啄城は木曽川の上流、山の上に顔を出しています。壮大な歴史の舞台です。




犬山ホテル前から
伊木山を望む
 当時、木曽川の支配者は蜂須賀小六や前野将右衛門に代表される川並衆でした。木曽川を挟む作戦に川並衆の協力は不可欠です。
信長はかねてから川並衆と親しかった木下藤吉郎に百三十人の足軽鉄砲隊を与えて伊木山城と鵜沼城の作戦を任せました。 
 いくつかのエピソードを残して藤吉郎は伊木山城と鵜沼城を味方に付けてしまいます。藤吉郎の人柄に負う所が大きかったのでしょう。
永禄八年、蜂須賀小六と前野将右衛門の仲介で木下藤吉郎は初めて伊木山城の伊木清兵衛と逢います。清兵衛が藤吉郎の家来になるに至った経緯と決意を述べたところ、藤吉郎は清兵衛の手を取り、「私はまだ肩書の無い一兵卒です。この度鵜沼攻めの大役を仰せつかっていたが、貴殿の決心により私の緒戦における命運が開けました。私には今、貴殿に報いるものは何もありません。私の一命に替えて殿(信長)に申し上げ貴殿の忠節に報いるよう努めます。」と大変素直な挨拶をしたと伝えられています。
そして、川並衆はこの大河木曽川に百艘の舟を並べて船橋を造り、信長はその船橋を渡って伊木清兵衛の案内で伊木山城に入りました。
 信長を尾張の殿様から全国支配者に送り出したのも、藤吉郎を天下人に育て上げたのも、ここ尾張北部の木曽川の地であり、川並衆だったのです。

(42)
国宝犬山城で四五〇年前に触れる
 明治になって城は陸軍の施設として使用するもの以外は取り壊すようにとのお達しがでます。犬山城も例外ではありませんでしたから二十余りの門と十三の櫓は競売に掛けられて売られて行きました。しかし天守閣だけは大きすぎて買い手が付きませんでした。残された天守閣を中心にして「犬山城公園」が整備されたのでした。
 公園の入口から本丸門に至る坂道は石垣や空堀が昔の面影を伝えていて風情ある道です。
 ことに券売所の正面、東に面している石垣は建築以来四百年余り手を加えていない部分だそうです。
 山から掘り出してきたままの石が思い思いの形をして積まれています。これを野面積みと呼んでいます。石垣の勾配も直線です。


犬山城天守閣
  大きな岩から切り出した幾何学的なサイコロ状の石を積んだ名古屋城などの石垣とは違って歴史の古さを感じさせます。
本丸門をくぐりますと天守閣がまばゆいばかりに輝いています。これが国宝犬山城です。
戦後整備された「文化財保護法」によって国宝に指定されています。この法律の目的は後の世の人が「文化財に触れることによって先人の生活や文化の発展を知る」ことに置かれています。
石垣で覆われた高さ五メートルの天守台の上に二層二階の大きな屋根の入母屋を置き、その上に望楼を載せた天守閣です。
入母屋の大きな屋根の重量感に圧倒されます。「本シリーズ(38)」で書きましたように、この入母屋は金山城から移築したものです。昔の人は一度建てた建築物を大事に再利用していたそうですネ。
入口を入り穴倉の中の階段を登ると、太い梁が目の前に現れます。梁の表面はチョウナ削りと言って古い技法で仕上げてあります。
この大屋根の下の入母屋はチョウナや槍かんなが使われていて、建築学上今から四百五十年ほど昔の築城と考えられています。国宝の中では最も古い天守閣です。
最上階の望楼は関が原の戦いの後、つまあり下の入母屋の部分ができて五十年ほど後、大屋根の上に載せたものです。柱や梁の仕上げには現代でも使われている台かんなが用いられており、築城の歴史を自分の手で触れて見ることができます。
望楼からは稲葉山城(岐阜城)を望んで美濃攻めを前にした信長の気分に、また小牧山城を睨んで小牧・長久手の戦いに臨む秀吉になることのできます。(完) 

掲載:犬山市前原台自治会報「かけはし」/平成13年8月〜平成18年2月